ぼちぼちポスト

東京在住の夫婦と子どもの毎日記録です

自分の時間の考え方

多分こういうのも、1年も経てば忘れてしまう感情だから書き留めておきたい。(そもそも忘れてしまうことを書き留めておく必要があるかどうかは、全くわからない。毎日続けている5年日記の意味を最近は困惑しながら捉えることも少なくない。ちなみに今絶賛村上春樹読書中なのわかります?)

 

今週、台風の影響でぼちびさんの帰阪が2度延期になった。2度目は有給取って品川に送り届け、その後1人お出かけのつもりがつぶれてしまった。なんとなくだいぶガッカリしたけど、その後3人でパスタ屋さんでランチして昼ビールし、ラクーアで温泉を楽しむと、なんだか満足度が高くて、間違いなく1人で過ごす平日よりも最高の1日になった。これは自信ある。

 

だけど、なのに、やっぱり私は1人を求める。

 

(ぼちをとぼちびが帰阪していた)2泊3日のちびまるとの時間は想像していた一番最悪のパターンになった。初日夜から体調悪化して咳き込み続け、抱っこでしか眠れないまま朝を迎え、発熱して受診、保育園を休んで仕事しながら看護デー。その日は4度の嘔吐を処理して深夜12時から翌朝5時までは眠れた…

 

文字にしただけでも辛い。もちろんちびまるが一番辛い。だけど自己犠牲の上で成り立つ辛い時間は、自分の感情を揺るがしてしまう。食事を作ったり楽しむ時間なんて当たり前にないので、病院帰りにしこたま買ったお惣菜とおにぎりを立ちながら30秒で食べる時間は、特に自分のギリギリのところを刺激した。合間合間に仕事のタスクを進め、(自分が勤務している)納得感を持たせる程度にこなす。

 

一方で、ぼちをさんからはぼちびとの楽しげな夏休みの風景がスマホへ送られてくる。新幹線のお弁当、懐かしい義実家の猫、青空の下のフェリー、島でのバーベキュー…わかってる。それはそれで友達と過ごすことは違う楽しさってこと。親として、また親を気遣う子としての二つの役割の中で得られる「家族としての愉しさ」。それでも、トイレすらドアを開け放ちて瞬間的に用を足さなければならない私とは雲台の差。比べる必要がないほどの幸福度の差。

 

一瞬、いや何度となく沸々と八つ当たりの気持ちが沸いてくる。なんで?なんで私だけ楽しむことを許されない?なんで私だけが自己犠牲を必要とする?かわいいちびまるとの時間は癒しでもあるけど、それでも人と比べて苦しくなる。私も、私の時間を過ごしたい。

 

そんな最中、眠気に耐えるべく夜中の抱っこをしながら、タレントのYouと藤井隆のお悩み相談YouTubeを見た。『私は、これを、選んだんだ。そう思う気持ちが何より重要で、誰かのせいとか何かのせいにしてぐちぐち言うなんてもったいないのよ』そういう感じの内容だった。すごくバカっぽく提案されたバラエティ感ある言葉だったけど、その時の自分にめちゃくちゃ刺さった。

 

そう、全部選んでる。私が選んでる。自分じゃない時間なんてない。自己犠牲だろうがなんだろうが、自分で選んでる。

 

そう思うと、というか決めると、当たり前にぼちをさんに八つ当たりしていた気持ちが幾分ふわりと和らいだ。だって、彼に押し付けられたものではないのだから。彼に怒りをぶつけたところでお互い虚しいだけだ。頭でわかってることをきちんと心でも受け入れられた瞬間だった。

 

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でも結局その後、帰ってきたらぼちびはやかましいしワガママだし、ちびまるはぼちをさんをめちゃくちゃに求めるけど、深夜対応するのは私だし、前日以上に泣き喚くし。自分の気持ちのリセットなんて吹っ飛んで、産後初のモーニングを眠い体引きずって楽しんでる。

 

自分の弱さをほとほと感じるけど、まぁそれも、選んだから。